2014年04月30日
南上加代子
春闘の腕章レジを打つてをり
バブル崩壊後、死語同然になってしまった感がある季題であるだけに懐かしい。ほかのことは一切言わず、腕に巻かれた腕章に焦点を絞ることで、かえって連想が広がっていくから不思議である。愛想よく接客しながらも内に秘めた闘志が窺える。景気が回復し再び実感のある季題として復活して欲しいと願う。『南上加代子句集』(1986)所収。
2014年04月29日
小路紫峡
天つ藤瀬石に屑をこぼしけり
谿を流れる春水が瀬石に堰かれて白く激っている。ふと観察すると瀬石の上になにやら花屑が乗っている。あたりにそれらしい主は見当たらないのでもしやと切り立つ崖を仰ぐと岩頭の巨木が谿にせり出すように枝を張りだしている。そしてその枝から見事な懸かり藤が垂れているのを見て全てを納得した。単なる懸かり藤ではなく「天つ藤」と形容したことで高さが感じられ具体的に連想が広がるのである。『四時随順』(1944)所収。
2014年04月28日
大星たかし
春潮に空瓶首を振りつづけ
春秋の彼岸の頃は干満の差が大きく波の動きも印象的。揚句はゆったりとした上げ潮の感じがある。空瓶に命があり波に抗って首を振っているようだと擬人的に見たのが作者の小主観である。異国語のラベルが貼られている空瓶ならなお感興が深くなる。『檣燈』(1990)所収。
2014年04月27日
大星たかし
囀に不協和音の鴉かな
梢の春禽たちが競って囀っている。思い思いに求愛の歌を唄っているのだけれど、不思議に調和してリズムを為している。しばらくその余韻にひたっていたが突然鴉がきてぶちこわしてしまった。憎々しく思う気持ちではなく、「もう少し調和の取れた啼き方が出来ないものか」と鴉の無粋さを哀れんでいる気分なのである。『檣燈』(1990)所収。
2014年04月26日
小路紫峡
新鮮な卵の上の蠅叩
笊に入った産みたて卵の上に蠅叩きが置いてあるという。当然ながら卵に止まった蝿を撃つわけではない。蝿を撃った蠅叩きはとても新鮮とは言えないので、作者はその対比に感興を得た。具体的な状況としてはいろいろ連想がひろがるが、「産みたて」という札をつけて売られている何でも屋の店先のような気がする。
『風の翼』(1977)所収。
2014年04月25日
高野素十
春草に轍のあとの外れてあり
舗装されていない農道であろう。田畔から少し道路へはみ出して可憐な春草が花を挙げている。そして道に残った轍がそれを避けるように曲がっているのに気づいた。踏むまいと避けた運転手のやさしい心意気とそのことに気づいた作者の心とが通いあって一句となった。ふつうの乗用車ではなくて農耕用の耕耘機の雰囲気である。『高野素十自選句集』(1992)所収。
2014年04月24日
波出石品女
日の椿落ちて日陰にころびけり
なぞえに咲くつばきであろうか。日差しに映えて赤く燃えている。と見る間に突然落ちてころころと坂を転がり隠れるように木陰にとどまった。当然ながら日陰の落椿には日面に咲いていたときのような輝きは失せてない。明暗の対比がうまく詠まれている。『ナナカマド』(1982)所収。
2014年04月23日
阿波野青畝
これこそは弊衣破帽の葱坊主
弊衣破帽(へいいはぼう)の意味を調べると、ぼろぼろの衣服と破れた帽子。特に、旧制高等学校の生徒の間に流行した蛮カラな服装とある。種を採るために畑に残されて坊主とは言いがたいほどザンバラ頭になった葱坊主である。なにげない『これこそは』の措辞が小さい驚きを感じさせ、数ある葱坊主の中で何とこの一本は・・という情景が具体化に見えてきます。『西湖』(1988)所収。
2014年04月22日
阿波野青畝
鯥五郎鯥十郎の泥試合
長崎県有明海に面した日本最大の干潟「諫早湾」はムツゴロウの国内最大の生息地。ムツゴロウの喧嘩はとてもユーモラス。泥をはね飛ばしながら喧嘩しているムツゴロウの様子ををみて、仇討ちで有名な蘇我兄弟(五郎、十郎)を連想した青畝師の感覚がいかにも柔軟である。「泥試合」の措辞が憎いですね。『不勝簪』(1975)所収
2014年04月21日
阿波野青畝
のどけしや降神の声長うして
神事の神官がお祓いのために降神の儀式をするときの声で、「オ〜〜〜」と言う唸り声に似た発声です。屋外での安全祈願祭のような雰囲気があり、紅白の四方幕の上は筒抜けによく晴れた青天井なのです。『長閑』という季語は基本的に屋外の感興ですので、そんなふうに連想がひろがります。神官の発声にのみ長閑さを覚えたのではなく、まず好天の中での神事の進捗にのどけさを覚え、降神の声によってその余韻に心を遊ばせているのです。『西湖』(1989)所収。