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2014年05月30日
小路紫峡
噴水のひっこめば像いぶかしみ
小の噴水が中心の像を取り囲むように踊っている。噴水の動きはプログラムされていて一通りの演出が終わると何秒間か小休止するが、その一瞬の静寂がうまれたときふと像の表情がためらったように感じたのである。像の表情が変わることはないので作者の心象眼がそう見たのである。無心に噴水をうち仰いでいた幼子が噴水が止まった瞬間、「あれ??」と不思議そうな表情になるが、その感覚に似ている。「ひっこめば」の措辞がそれまでは高々と立ち上がっていた噴水がピタッと止まった瞬間を具体的に連想させている。『風の翼』(1977)所収。
2014年05月29日
小路紫峡
洗面器金魚の紅がはじきあひ
じサイズの白い洗面器に金魚を入れてそれぞれ評価されるような風景を見たことがあるので、おそらく品評会での写生であろう。当然ながらコンデションのいいものを選んで出品されているのでどれも元気がいい。「紅があじきあひ」という的確な写生によってその様子が具体的に伝わってくる。『風の翼』(1977)所収。

2014年05月28日
小路紫峡
卓を打ち雨とびあがるビアホール
まれている季語はビアホール(ビアガーデン)であるが季感はあきらかに夕立である。作者は客として写生していると思われるので営業中に突然夕立に襲われたのであろう。瞬時の出来事に右往左往する客や従業員の姿が目に浮かぶ。もしあなたがテレビニュースのカメラマンでワンショットでこの状況を伝えるとしたら何を撮るでしょうか。作者は激しく卓を叩いて跳ね上がる雨脚を捉えることでそれを伝えたのである。俳句における写生の視点は、カメラアングルと同じである。揚句は焦点を絞ること、省略することの大切さを教えてくれる。さらに夕立が通り過ぎたあとの涼しさと再び安堵を取り戻したビアガーデンの雰囲気まで連想できれば鑑賞力として合格。『風の翼』(1977)所収。
2014年05月27日
小路紫峡
大玻璃に夏山袖を合はせけり
暑ホテルのロビーの大きなガラス窓に透けて借景の夏山が見えている。袖という比喩は山裾の意で比較的低い緑の山々が互いに袖を合わすように重なって見えている。見える距離や樹木の関係で全く同じ緑ではないので特にそのように感じたのである。能勢路や丹波路あるいは大和路あたりの風景かと思う。『四時随順』(1994)所収。
2014年05月26日
高野素十
花びらを走りし雨や花菖蒲
十句集には揚句のほかに「花びらを流るゝ雨や花菖蒲」「花びらを打ちたる雨や花菖蒲」という作品も隣り合って掲載されているが、ぼくは揚句が最も秀逸だと思う。花びらを走ったのは雨ではなく雨の珠である。本格的な雨ではなくてしとしとと降る雨が大小の雨粒となって花菖蒲の大きな花びらにとどまっている。そのうちの一つが次第に大きくなったか、小さなものが合体したかの瞬間、耐えきれずにつつと花びらを走り落ちたのである。花びらを打ちたる雨・・・は、かなり強い雨が連想される。流るる雨はどことなく説明的で平凡である。素十がわざわざこの三句を並べ掲載した意図はわからないが、打ちたる雨→流るる雨→走りし雨という順に推敲したのではないかと思う。『高野素十自選句集』(1944)所収。
2014年05月25日
高野素十
朴の花暫くありて風渡る
木の朴はやわらかな広葉を広げた上に玉杯のごとく咲くので下から仰ぐ形では見えない。揚句は山道から見下ろした谿の樹間に咲く朴の花であろう。朴の花との出会いに感動しその荘厳さに暫く見とれていたとき朴の葉を揺るがせて一陣の風が木立を駈け抜けて行った。静から動への一瞬の変化に感興を覚えたのである。泰山木も似た花であるが葉が分厚く「風渡る」の雰囲気は醸せない。『高野素十自選句集』(1944)所収。

2014年05月24日
高野素十
乳の出ぬことが悲しき更衣
乳がでない原因は、体質的な理由だけではなくて、生活環境などメンタル的な影響も大だと聞いたことがある。思うに母乳絶対主義の姑と同居している場合などでは特に悲惨である。揚句の場合、仔細は説明されておらず、また一人称とも三人称ともとれる句意なので短編小説風に連想が広がってゆく。『高野素十自選句集』(1944)所収。
2014年05月23日
波出石品女
籐椅子を奪はれたりし食後かな
旅の宿での写生と解せば分かりやすいかと思う。宿についてお風呂を愉しんだあと、食事の準備が出来るまでの間、籐椅子に座って湯ほてりを冷ましながらくつろいでいた。やがて食事が済んだのでもう一度戻りたいと思ってみてみたら、先に食事が済んだ仲間に椅子席を奪われていてちょっとがっかりしたのである。ごくふつうの何でもない事柄なのに写生の力によって個性的な作品となるから面白い。『ナナカマド』(1982)所収。
2014年05月22日
波出石品女
バス涼し歌が自然にとび出して
女さんの代表作の一。愉しそうな吟旅のバスで詠まれた句である。品女さんの句集にあてた青畝師の序文のなかにこの作品に触れられたヵ所があるので少し長くなるが紹介しておく。
富士の麓へ吟旅があった。バスに乗ってたいくつするじぶんに涼しい歌声がきこえはじめた。歌手は品女さんだった。品女さんが強いられるままに歌ったのではなく、勝手にとび出したまま歌ったのである。楽器が鳴り出すというふうな自然はまことに邪気がない。その後彼女の美声に惚れて南国土佐をいくたびせがんだことだろう。
『ナナカマド』(1982)所収。
2014年05月21日
小路紫峡
滝茶屋の床を歩けば卓動く
茶屋は常に飛沫をかぶるので湿気が多く木材の傷みも早い。揚句の滝茶屋も例外ではなく、土台の木材が腐食しているらしく歩く度に床板がふわふわとして心許ない。危険と言えば危険なのであるが、茶屋主も利用客も慣れているので頓着しないのである。『風の翼』(1977)所収。
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