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2014年06月09日
波出石品女
気を反らすことも看護や金魚玉
集では「看護」に ”みとり” とルビがふってあった。「看取」ではないので十分に回復が見込める病人なのであるが、闘病生活が長引くと気が重く悪い方向ばかり想像して塞ぎがちになる。金魚玉涼しそうだね・・と視点や話題を変えて少しでも気分が明るくなるようにと気配りしているのである。品女さんの職業がナースであったことを知っている人には、幼い子供の入院患者に優しく声を掛けている彼女の姿が連想できる。病院ではなく自宅で療養している病人だと鑑賞しても家族の思いやりが伝わってくるのである。『ナナカマド』(1982)所収。
2014年06月08日
波出石品女
おくれ来て今からつぽの避暑の宿
しい仲間との吟旅を楽しみにしていたが突然の急用で出発時間に間に合わなかった。やむを得ず遅れてしまったので取り急ぎ宿へ直行したのであるが、句仇たちは既に吟行に出てしまったようで、案内された部屋はもぬけの殻。何とか不参加という最悪の事態は回避できたという安堵感とちょっと出遅れてしまったという悔しさが入り交じっている。当時の作者はばりばりのナースであったので急患があったのかもしれない。吟旅と決めつける必要は無く、単なる親しい仲間との避暑の旅と解してもいいが、俳人として鑑賞するならば吟旅としたほうが実感がある。『ナナカマド』(1982)所収。
2014年06月07日
波出石品女
白靴の夕闇蹴ってもどりけり
の作品、一人称の句として鑑賞するか、あるいは三人称の句(お嬢さんがモデル?)として解するかで若干状況が変わってくるが、いずれにしても今日の外出はとても愉しい一日が過ごせて意気揚々というかルンルン気分で帰宅したことが想像される。もし三人称であるとすれば、「白靴の娘夕闇蹴ってもどりけり」になるわけだが、作者は字余りを嫌ってあえて一人称に詠まれたのではと思う。『ナナカマド』(1982)所収。
2014年06月06日
波出石品女
髪洗ひつつ泣き伏してしまひけり
を洗うのは四季を通じてだが、夏は汗で汚れやすく度々洗うので夏の季語となっている。男女とも洗うが女性の場合の方が情緒がある。髪を洗っていると今日一日の出来事が走馬燈のように思い出される。悔しい思いなのか悲しい思いなのか、あるいは失恋であったかもしれない。人前では涙を見せまいと気丈にふるまって耐えてきたものが一気に噴き出したのである。『ナナカマド』(1982)所収。
2014年06月05日
波出石品女
意地でのむビールの彼を知りにけり
つになく悪酔いしてまるで人が変わったかのように愚痴りながらビールをあおっている彼がいる。きっと人には言えない出来事があったのだろう。仕事の人間関係かそれとも女性に裏切られたのかもしれない。でもこんなに動揺した彼の姿をみるのは始めで全く意外だ。なんでもない句だと思うかもしれないが、彼と・・ではく、彼を・・であることに注目して欲しい。「意地でのむビールの彼と知りにけり」の場合は、そういう癖があることをあらかじめ知っていて今日もまたそうなんだという説明句になる。彼を・・によって、初めて遭遇したという驚きになるのである。一文字の違いの重みをこの作品から学びたい。『ナナカマド』(1982)所収。
2014年06月04日
阿波野青畝
梅雨菌大団結をもくろめり
中のあらぬへに梅雨菌の集団が出現しているのを発見した。大中小と様々であるが小さいのもみるみるうちに成長するに違いない。増殖するような梅雨菌の勢いを見て「大団結をもくろめり」と擬人的に詠んだあたりがことばの魔術師と言われる所以であろう。「梅雨菌仲よう傘をならべけり」「梅雨菌雨落ちざるに笠をさす」などの作品とともに卒寿翁にして幼子のような感性におどろかされる。『除夜』(1984)所収。

2014年06月03日
阿波野青畝
一隅を照らす願ひの安居かな
居は僧侶たちが一定期間一箇所に集まって集団で修業することである。近年は信徒衆も短期間の参加が出来るような企画もあるようだ。「一隅を照らす」は、伝教大師最澄の説いた有名な言葉、謙虚に生きつつ少しでも世の中の役に立つような存在でありたいと願って夏行しているのである。作者はクリスチャンであるが、あくまで一人称の句として鑑賞したい。「一日一善たやすからざる安居かな 青畝」という作品もあり似たようなフィーリングである。『宇宙』(1990)所収
2014年06月02日
阿波野青畝
影法師わななきこぞる薪能
方に篝火を焚いて能を演じる薪能は5月頃に奈良の興福寺南大門前や春日大社社殿前で行われるものが有名であるが、元来修二会行事から派生したとされるところから春の季語となっている。篝火が躍るたびに演じている人の影法師もわななくように揺れるのである。「こぞる」の措辞が非凡であるが大勢の人がからむ演目であることが想像できる。『万両』(1927)所収。
2014年06月01日
阿波野青畝
梅雨の人パチンコ盤の裏に居る
かしい昭和の風景ですね。現代のパチンコ盤は全て自動化されていますが昭和のそれは盤の裏に人が居てパチンコ玉の補充をしたり、トラブルが生じたときの対応などをしていました。雨の日や梅雨の時期には湿気で玉の動きがスムーズでないためパチンコ盤も機嫌が悪く裏で対応する人も汗だくだったでしょうね。梅雨の季感が動くのでは?という詮索はして欲しくない。狭苦しい場所で走り回る人は梅雨の時期が一番辛いのではと同情の気持ちもある。『紅葉の賀』(1962)所収。
2014年05月31日
小路紫峡
揚花火脳天打ちて開きけり
近で鑑賞した打ち上げ花火である。脳天を打ったのは揚花火が空中で炸裂したときの爆発音である。遠花火の場合は花火が開いてから少し間を置いて音が聞こえるのであるが、揚句の場合、ほぼ同時であったのでこの驚きとなった。中州で打ち上げられるのを直近の川床で眺めているという風情と見る。「脳天打ちて」の措辞によって音の大きさと頭上に仰いでいる花火であることがわかる。『四時随順』(1994)所収。
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