四季選集に選んだ作品を鑑賞しています。

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2014年4月の目次

観覧車廻るともなく花の雲

よし女

やや高所からの展望の景。眼前にひろびろと街の風景が広がり、遊園地と思われる遠景に雲の湧くような桜が見えている。その花の雲から大観覧車が抽んでて見える。実際はゆっくり動いているのだけれど、遠景なのでまるで止まっているように錯覚して見えるのである。季語は、『花の雲』で動かないが、花の昼という長閑な趣もある。(毎日句会2011年4月)

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のどけしや臍丸出しの逆上がり

花茗荷

子供たちが集まって、わいわいがやがやと元気に鉄棒で逆上がりの練習をしている。失敗しても何度も何度も繰り返し練習している。お腹のあたりを強く鉄棒に押しつけるのでシャツがまくれ上がり、お臍がまる見えになっている。ようやく成功した子供が、そんなことには頓着なしで嬉しそうににっこりと笑っている。うららかに晴れ上がった春の天の下、まことに長閑な風景である。(毎日句会2011年4月)

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花頭窓開けて仏へ花明り

菜々

花頭窓(かとうまど)は、おもに日本の、寺社建築・城郭建築などに見られ、上枠を火炎形(火灯曲線)または、花形(花頭曲線)に造った特殊な窓。少し開かれている窓越しにお庭の桜が美しい。堂内に風を通すために開かれているのであるが、この美しい桜を仏さまにもみていただきたいと開けられてあるように思えた。うす暗い堂内に花明かりがさしこみ、こころなしか仏さまの頬もほんのり桜色に。(毎日句会2011年4月)

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道祖神みそなはす野に遊びけり

雅流

道祖神は、路傍の神で、集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに石碑や石像の形体で祀られる。村の守り神、子孫繁栄の神として村の人々に信仰されている。『みそなはす』とあるので谷戸の棚田を見渡せるような高所の路傍にたつ道祖神を仰いで写生した。作者も又純粋に道祖神を愛する里人なのである。『野遊び』という季語は、理屈っぽく考えることなく散策して野に遊ぶケースや踏青のような雰囲気に使っても構わない。(毎日句会2011年4月)

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露天湯へ母の手を引く朧かな

うつぎ

高齢になって足腰が弱り出不精になった老い母を励まして湯治の旅に誘った。足弱の母の杖となって湯煙の立つ露天風呂まで一歩一歩慎重に足を運んでいるのである。夕刻となって冷え込んだためか足元もぼんやりとしていて見えにくい。露天湯のあたりもかすかに湯気が立つのが見えるだけで人影もまた朧なのである。(毎日句会2011年4月)

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春愁や知友の訃報うべなへず

せいじ

季節の変わり目は体調を崩しやすく、高齢者とよばれる年代になると、思わぬ同僚の訃報に驚かされることも多い。人は誰も死という定めからは逃れられないし、いつどこでどのように召されても天命である。理屈ではわかっていても、現役時代、あんなに元気で活躍し、老後も悠々自適であった彼が亡くなったとは納得できないのである。(毎日句会2011年4月)

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四月馬鹿回転ドアと息合はず

菜々

エスカレーターに乗るときもそうだが、躊躇していると固まってしまってタイミングを合わすのが難しく、なかなか最初の一歩が踏み出せない。何度も失敗した様子を、『息合はず』と感じたところが面白い。万愚節の句は詠みやすいようだが意外と難しく、『嘘』をテーマに詠むと理屈になる。(毎日句会2011年4月)

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見送りを終えし埠頭の春惜しむ

わかば

船で旅立つ人を見送ったあと、余韻に浸るように埠頭に佇んでいる。旅だったのは家族、友人、あるいは愛しい人であったかも知れないとあれこれ小説的なストーリーを連想させる。しばらくは再会できない・・そんな相手であるが故に共に過ごした思い出をも惜しんでいる。そのような設定と思いたい。原句は、『終えて』であったが、瞬間写生にするため『終えし』に添削した。(毎日句会2011年4月)

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哲学の道ゆく吾に花吹雪

満天

哲学の道は京都市左京区にある小道である。 南禅寺付近から慈照寺まで、琵琶湖疏水の両岸に植えられた桜はみごとで、春や紅葉の秋は多くの観光客でにぎわう。 哲学者・西田幾多郎がこの道を散策しながら思索にふけったことからこの名がついたと言われる。原句は『道ゆく人』であったが一人称の『道ゆく吾』に添削した。主人公も又俳句の想を練りながら花堤を散策しているのである。(毎日句会2011年4月)

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踏むに惜し落花畳の遊歩道

ひかり

遊歩道に散り敷いた落花が斑模様を描いて踏み惑うほど美しい。遊歩道はカラー舗装とかインターロッキングのような煉瓦敷きが多く、カラフルなので淡いピンクの桜の花びらとのコントラストは殊に風情がある。(毎日句会2011年4月)

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磴登る花の二の丸三の丸

よう子

二の丸三の丸と畳みかけたことにより磴を登って見晴らしのよい本丸(天守閣)を目指す花人の様子が上手に写生できている。畳みかけの表現法は、よく好んで用いられるが、安易に使うと月並みな句になりやすいので注意が必要。(毎日句会2011年4月)

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いななきの連鎖反応牧の春

宏虎

厩出し(冬の間厩に入れていた牛や馬を野外に出し、運動と日光浴をさせる)という季語のあることを念頭に置いてこの句を鑑賞したい。放牧された馬たちは上機嫌で喜びいななき、温かい春の日に遊ぶのである。原句は、『春の牧』であったが、春になったという実感を強調するため『牧の春』に添削した。(毎日句会2011年4月)

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瀬洗ひの小石大石風光る

つくし

春の日を弾いて煌めく磊々の瀬波を写生した。石の大きさが揃っている場合は、瀬波も一定のリズムとなるが、大きさの異なる石が不規則にあるために瀬波もまた破調にしぶくのである。波の状況を一切説明せずに連想に委ねている。省略の効いた佳句である。(毎日句会2011年4月)

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町おぼろ団地百棟灯点りて

菜々

高層住宅がひしめくニュータウンの写生句である。句意から連想すると、このような情景が俯瞰できるような高所からの展望ということになる。高層ビルの展望階、あるいは丘の上等々が想像されるが、展望レストランで食事を楽しみながら大玻璃窓に展けるロマンチックな風景と思いたい。(毎日句会2011年4月)

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春風に乗せて船頭唄ひけり

せいじ

木曽川の川下りのような情景を連想する。川幅が狭く流れの早い岩場では棹さばきに忙しいが、やがて瀞場にさしかかると船頭にも余裕がでて流ちょうに地元の唄を歌ってサービスするのである。春風にうたう船頭の姿も風情があり心地よい好天であることもわかる。(毎日句会2011年4月)

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霾や音はすれども機影見ず

雅流

霧や霞は、四方八方にたちこめるという雰囲気であるが、黄塵はまさに空から霏々と降ってくるという感じ。同じような情景であっても趣は異なるので題材選びが成否を分ける。揚句は飛行機を題材にすることで成功した。音の響き工合からすると直ぐ近くを飛んでいるらしいと思ってうち仰いだが、それらしい影は全く見えないのである。(毎日句会2011年4月)

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