果物好きな作者は、食べ頃に色付いて越境するほどたわわに稔っているお隣の庭の枇杷が気になってしかたがない。おもわず手が伸びそうになる誘惑に耐えているのである。(2011年6月)
温泉を楽しみ旅の汗を流したあと、ゆっくりとした気分で風に吹かれつつ夕帷が包むホタル狩りまでの時間を愉しんでいる。女流ならではの艶のある句である。GH吉野吟旅での句かと思う。(2011年6月)
投函するときにポストの上に小さな雨蛙が鎮座し、あたかも自分に対して平伏しているかのように感じた。色彩感覚もよく滑稽実のある佳句で作者の個性がよく出ている。都会では見られない風景である。(2011年6月)
作者の為人をしっている人には愛するご主人との二人吟行であることは容易に想像できる。吟行したあと緑陰でひと息入れながら仲良く互いの句帳を見せ合っているのである。(2011年6月)
朝露が珠を結んで蓮の広葉のうえに危うい感じでとどまっている。珠が転げ落ちるほどではなくて、そよ吹く程度の風が通ってきたときかすかに蓮葉が揺れてつつと珠が動いた。あたかも蓮葉が珠をもてあそんでいるかのように感じたのである。(2011年6月)
尾頭の区別もわかりくい毛虫だが個眼とよばれる感覚器官が6個あるそうだ。危険を察知すると固まって枝に同化し身を守ろうとする。毛虫を捕ろうとして割り箸などを近づけたときの写生と思うが、自分の視線に反応したと感じたところが面白い。(2011年6月)
人里近くでぎこちなく啼いていた鶯も夏が深まるとともに山深く移動して名調子で啼くようになるので老鶯と呼ばれる。植林された杉の美林に老鶯の声が谺し始めると東雲明かりが差しそめて明けてゆくのである。(2011年6月)
乱舞するホタルを光りの音符と捉えた感性が素晴らしい。漆黒の闇に乱舞しているホタルは光りの尾をひきながら五線譜をはみ出した音符のように自由を讃美している。「ほ、ほ、ほたるこい」と作者も思わず歌い出したい気分なのである。(2011年6月)
菖蒲園には順路のあちこちに橋が設けらている。橋のあたりは少し高く左右に展けていて殊に眺めが良いので見物の人たちの傘がひしめき合って中々前へ進めない。いらいらした気分ではなくこれもまた詮無しと大様にうけとめているのである。(2011年6月)
賽の河原の一隅に梅雨菌の群落を見つけた。 ひょっとしたら死者たちの霊が菌に化けて現れたのではないだろうかとユーモラスに捉えた。勢揃いと擬人的に詠んだことでいろいろと連想が働く。(2011年6月)
障害のある人は、健常者にはない敏感で精細な感覚をもっている。ハンデのある日々の生活の中でそれを補うために研ぎ澄まされた感覚が養われるのではないだろうか。障害はあっても生かされていることに感謝しているのである。(2011年6月)
庭の一隅に猫額ほどの畑を愉しんでいる。可憐な花を愉しませてくれた豌豆の苗がいつの間にか実を膨らませていた。ほんの一握りほどの収穫であるが少人数の家族にとっては十分で、わが庭の幸として至福を与えてくれるのである。(毎日句会2011年6月)
美しいバラの園に時のたつのを忘れて酔いしれていたが、閉園を告げる音楽にふと我に返ると、いつしか人影もまばらになり華やかなバラの屯も夕帷がつつもうとしている。作者はなおその余韻に浸っているのである。(2011年5月)
大きな吊橋を渡っていくと中ほどになるほど揺れが大きくなる。足下には歩板の隙間から深い峪が見え、奈落まで美しい若葉が埋めている。さながら空中散歩のようだと感じた。(2011年5月)
森の中を散策していてふと気づくと二の腕をうろうろと這う蟻に気づいた。大抵なら大慌てで叩くか払うかするのだが、作者は蟻に致命傷を負わせないようにと息を吹きかけて吹き飛ばしたのである。小動物に対する優しい気遣いが温かい。(2011年5月)
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