2014年04月20日
阿波野青畝
端渓に墨がまだ干ぬ遅日かな
端渓は「中国四大名硯」の一つで、良い端渓硯は、「赤子の肌のように」しっとりとして滑らかで、まるで吸い付くようだと言われます。作者は頼まれていた揮毫を済ませてホッとひと息お茶で喉を潤しながら、ゆったりとした気分を味わっているのである。『遅日』には長閑なゆったりした気分と共に美しい一日が終わるという満足感が伴うので、何とかうまく書き終えたという満足感に通じる感興もある。『西湖』(1988)所収。
2014年04月19日
小路紫峡
染卵ちらと画才の見られけり
教会学校の子供達がイースターエッグにそれぞれ好きな絵を描いている。最近はマジックペンで書くことが多いが特に約束事があるわけではないので、大抵はそれぞれ好きな漫画のキャラクターや、両親の顔など思い思いに自由に絵を描く。もっと幼い子は落書きの同然のアブストラクトである。そんな子供達の様子を一人ひとり声をかけながら見て回る先生のやさしいまなざしなのである。『風の翼』(1977)所収。
2014年04月18日
小路紫峡
舷に立ち小便や鳥雲に
春は各地で旬の魚が獲れるので漁師達も忙しくなる。近場の海で漁をしている小型の漁師舟の様子を写生した。観察していると一人の漁師が舷に立ち遙かな虚空を睨むような格好で小用を足している。漁師は常に山立てをして舟の位置を確認する習慣があるので自然とそのようなスタイルになるのである。『鳥雲に』の季語がそれを連想させてくれる。一人称に詠んであるので、釣舟でであることも考えられるが、一人の漁師の姿にスポットをあてる方がストーリーがある。『風の翼』(1977)所収。
2014年04月17日
小路紫峡
一片の落花に低し甲山
夙川の花堤から甲山を望む見慣れた景である。うっかりすると落花している高枝の下に甲山が見えていると解しやすいが、それでは景が窮屈になるし平凡。そうではなくて、落花の一片が川風に煽られて高く舞い上がり遠く見えている甲山の高さを超えた瞬間の感興、「高舞へる落花に低し甲山」のほうが分かりやすくていいように思うが、揚句は一片に拘った。それだけ印象鮮明だったのである。甲山は1200万年前に噴火したとされている。標高は309mと低いが、六甲連山よりはかなり手前にあるためくっきりと独立して見える。『遠慶宿縁』(2000)所収。
2014年04月16日
波出石品女
春眠といふ誘惑に負けにけり
平凡な一句と思うかも知れないが、「春眠といふ」の言い回しが巧みである。単に語調を整えるためだけではなく必死に睡魔と戦ったけれどもとうとう負けてしまった・・・という経緯が見えるからである。「春眠の誘惑に負けにけり」というだけでは、そのストーリーが見えにくい。春は仕事や遊びで疲れやすい。家事が待っているのに花疲れで・・・というケースかも知れない。『かつらぎ四季選集第20巻』(1985)所収。
2014年04月15日
波出石品女
安心しきつて舌出す浅蜊かな
砂を吐かせるために塩水に浸してある浅蜊である。厨仕事の途中ちょっと小休止と浅蜊を覗くとすっかり箍を緩めて機嫌良く長い舌を出している。酒蒸しでいただけそうな大ぶりの浅蜊かも知れない。『安心しきって』の措辞は心を遊ばせることで感動が生まれ授かったもので、決して頭で考えて浮かぶことばではない。『かつらぎ四季選集第19巻』(1983)所収。
2014年04月14日
波出石品女
鶯の笛とわかりて大笑ひ
句仲間と吟行中に誰かが口笛で真似たか、あるいは「うぐいす笛」というのもあるのでそれを吹いたのかも知れません。一行の和やかな雰囲気を感じます。品女さんが、青畝師選の「かつらぎ四季選集」に初入選された作品で、技巧も狙いも何も見えない素直さに惹かれる。彼女の作品はこうした生活身辺の句が多く、GHの女流にも大いに参考になると思うので、できるだけたくさん紹介しようと思う。『かつらぎ四季選集第六巻』(1957)所収。
2014年04月13日
小路紫峡
腹へこむ古き薬缶の甘茶かな
潅仏会に甘茶を用いるのは釈尊誕生のさい、八大竜王が歓喜して甘露の雨を降らせお釈迦様を湯浴みさせたとの故事によるもの。明治の頃までは各寺で参詣の人々に甘茶を盛んにふるまった。『腹へこむ』の措辞を単なる滑稽と解してはいけない。このことばによって昔ながらのまあるい容で、且つ大容量の薬缶であることを連想させる。この薬缶は、何かとこの寺の諸事に使い回しされるのでボコボコに凹んで古びているのである。『四時随順』(1944)所収。
2014年04月12日
小路紫峡
霜のごと舗道の落花暮れなんと
道に敷いた落花も白昼はさほど目立つ存在ではないが、夕帷がつつみはじめてあたりの雑物がみえにくくなると、まるで夜光塗料が塗ってあるかのように白々と浮き上がって見える。その様はまるで霜が降り敷いたようだと感じた。句の命は季語云々ではなく季感である。霜(冬)と落花(春)とが用いられているので季重なりの句だと詮索するは愚。揚句の季感はまぎれもなく春である。『四時随順』(1944)所収。
2014年04月11日
大星たかし
末席の母若からず卒業歌
父兄席の後列にくぐもるように小さく口をうごかしている母親の姿がある。生徒たちが唄うのにあわせて卒業歌を口ずさんでいるのである。華やかに着装った前列のお母さんたちとは違ってシックないでたち、明らかに年代が違うようだ。詳しい事情は、推し量るべくもないが、目立たないようにと気遣っている控えめな母親の姿が印象的に映ったのである。連想を広げていくと一編の小説になりそうな作品。教職出身のたかしさんらしい視点である。『檣燈』(1990)所収。